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大阪高等裁判所 昭和38年(う)1156号 判決 1964年1月20日

主文

本件控訴を棄却する。

当審における訴訟費用は被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人表権七提出の控訴趣意書記載のとおりであるから、これを引用する。

所論は、被告人の所為は刑法二〇九条の過失傷害罪に該当しても、同法二一一条前段の業務上過失傷害罪に該当しない。即ち被告人は本件事故当時ポンポンを浴場の附随業務として反覆継続して入浴客に販売している事実がなかつたのに、偶々親切心から無償で与えたものであり、また誤つて渡したピース浄化剤は浴槽に入れて湯を浄化するものであつて、これを販売するものではないから、ポンポンもピース浄化剤も業務として売渡したものではない。そしてピース浄化剤は毒物ではなく、医薬部外品であつて、何人でも販売できるものであつて、人の身体、生命に危険のあるものではないから、その取扱いに特別の注意は必要ではない。従つて被告人の本件行為は業務上の行為ではないのに、原判決が業務上の行為と認定したのは重大な事実の誤認であるか又は刑法二一一条前段の業務上の行為の範囲について解釈適用を誤つた違法があるから、破棄さるべきであるというのである。

案ずるに刑法二一一条前段にいわゆる業務とは各人が社会生活上の地位に基いて反覆継続して行う事務であつて、人の生命、身体に対し危険を伴うものを指し、本務たると附随業務たると、はた又その事務が報酬若しくは利益を伴うと否と或いは対価を得るものたると否とを問わないものと解すべきである。これを本件についてみるに、(証拠)によれば、ポンポンは滑石、炭酸カルシウム、亜鉛華、タルク等を主材とし、これに香料、殺菌剤を加えた白色粉末剤のいわゆる天花粉であつて、あせもやおめしかぶれを防ぐために市販されているものであるが、旧薬事法施行当時は同法により医薬品の取扱いを受け、その製造業は厚生大臣の製造登録を受けた者でなければ製造できず(旧薬事法二六条)、その販売業についても都道府県知事の販売登録を受けた者でなければ販売業を営むことができなかつたが(旧薬事法二九条)、昭和三六年二月一日に施行された現行薬事法(昭和三五年八月一〇日法律一四五号)により、あせも、ただれ等の防止を目的とし、かつ、人体に対する作用が緩和なポンポンは医薬部外品の取扱いを受け(薬事法二条二項号参照)、その製造については医薬品と同様厚生大臣の許可を受けた者でなければ製造業を営むことができないが(同法一二条)、その販売については許可や届出をする必要もなく自由となつた。しかしポンポンでも、強烈な殺菌剤を使用している場合は人体に対する作用が緩和でないものとして医薬品としての取扱いを受けなくてはならないし、また異物が混入しているような粗悪、有害なポンポンも市販されることがあり得るので、薬事法はポンポンのような医薬部外品について、その容器又は被包に製造業者の氏名住所、「医薬部外品」の文字、名称、内容量、有効成分の名称及びその分量など一定の事項を記載すべきことを命じ(同法五九条)、不良医薬部外品の販売、授与を禁止し(同法六〇条、五六条)、また医薬部外品を業務上取扱う者に対し、必要な報告を命じ、当該職員に業務上取扱う場所に立入り、検査させ、質問させ、不潔な物質又は、変質した物質からなつている医薬部外品、異物が混入、附着している医薬部外品、汚染されているおそれある医薬部外品、これ等の疑いのある医薬部外品を試験のため必要分量を収去させ、又は廃棄その他公衆衛生上の危険の発生を防止するに足りる措置を採るべきことを命じ、又は当該職員に廃棄させ、その他必要な処分をさせることができる旨規定し(同法六九条一項、七〇条一項二項)、もつて医薬部外品の販売に伴う公衆衛生上の危険の発生の防止に努めているのである。

被告人は原判示北野湯の番台で入浴客から入浴料の支払を受ける傍ら、客の便益をはかるため、夏期に需要の多いポンポンを販売する目的で、昭和三五年夏頃から、被告人の属する組合の事務員や行商人から、カレンダー式一五袋綴りポンポンを約四回に亘り購入し、これを番台に備えておき、客の求めに応じて販売していたのであるから、被告人は薬事法にいわゆる医薬部外品を業務上取扱う者に該当し、公衆衛生上の危険の発生を防止するため、同法所定の監督を受ける立場にある者であることが明らかであり、被告人のかようなポンポンの販売行為は刑法二一一条前段にいわゆる業務に該当するものと解するのが相当である。

そしてポンポンは皮膚のただれやあせもの防止のために使用するもので、本件で販売されたものは紙袋に入れ更にビニールの袋で包みポーダーと表示されているものであるが、入浴客が番台の業者からポンポンを買求め湯上りに使用する場合には、業者から交付されたものを別に確かめることもなしにポンポと信じそのまま皮膚に塗布使用するのが普通であり、もし誤つて他の薬物とか異物を右の個所に使用するようなことがあると、特に使用される者が乳幼児である場合には、抵抗力の弱い皮膚に炎症を起す危険もあることだから、被告人のような業者が客の求めによつてポンポンを販売する場合には、それがポンポンに間違いないことを確かめ、いやしくも他の薬物とか異物を誤つて交付使用させることのないようにして、危険の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があることは当然といわねばならない。

ところが被告人は昭和三六年六月頃行商人から仕入れたポンポン一五袋を番台の後方に吊し、入浴客に販売していたところ、同年九月頃売れ残りのポンポン二袋を番台の抽斗に入れ、同年一〇月頃までの間にそれを販売しこれで全部売り尽したのであるが、一方昭和三五年一二月頃行商人が見本用としておいて行つた原判示ピース浄化剤一袋をシャンプーなどとともに番台の抽斗に入れたまま放置し、その後おき場所を忘れていたところ、ポンポンもピース浄化剤もともに白色粉末であり、その被包の形状、大きさがよく似ていたため、被告人がポンポンを売り尽した後、番台の抽斗を整理した際、右ピース浄化剤をポンポンと簡単に思い込み、これを抽斗から取り出し、入浴客の脱衣箱内のボール箱に移しておいたものである。その後原判示日時に朴英順より同人の長男松田泰久に塗付するため、ポンポンを求められた際、ポンポンは既に売り尽して手許にないのに拘らず、まだ一袋残つているものと誤信し、前記のように脱衣箱内のボール箱に入れておいたピース浄化剤をポンポンと思い込んでいたため、不注意にもピース浄化剤の被包に記載されている文字を読まずこれを確かめないで、漫然ポンポンであると盲信し、これを朴英順に渡した過失により、朴はこれを泰久の股部や尻部、陰部に貼付したため、泰久が右浄化剤のさらし粉のため原判示傷害を受けたものであり、被告人が業務上過失傷害の責任を負わなければならないことは明らかであり、原判決の認定は正当である。記録を精査しても原判決に所論の事実誤認の疑い乃至法令の解釈適用の誤りはない、論旨は理由がない。

よつて刑事訴訟法三九六条一八一条一項本文により主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官山田近之助 裁判官石原武夫 裁判官原田修)

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